なないろのゆり - 【満薫】冷たい手

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【満薫】冷たい手

【the view of Kaoru】

出かけるほんの直前に、偶然満の指先が手に触れた。
思わず自分で触れた部分を見返してしまったくらい、その手はとても冷たかった。
何か一言かけようとしたのだけれど、振り向いた満の顔があまりにもいつもどおりだったものだから、なんとなく何も言うことができなかった。

*****

いつも思うのだけれども、人が多く集まるところは苦手だ。
だから仕事でどうしても必要があるとき以外は、できるだけ人と会うのは満に任せてしまっている。
けれども今日は大切な展示会の初日ということではずすことができず、あまり気乗りはしないまでも会場に赴くことになった。

「ほら、薫の作品があったわよ」

満に促されてホールの一角を見ると、落ち着いた色のライトアップをされた自分の絵がかけられているところが見えた。シンプルな壁の色と派手さを抑えた天然素材で装飾された額縁とで、自分で言うのもなんだけれども、そこだけまるで別の空間になっているかのような不思議な印象をしていた。

開場してまだ数分ほどしか経っていないにも関わらず、すでに気の早い美術ファンが大勢展示会場を訪れており、何人も自分の絵の前で足を止めてくれる姿を見るのはそんなに悪い気分ではなかった。

「あれ、満が飾ってくれたの?」
「ああ。案を出したのはね。でも、あそこまで綺麗に仕上げてくれたのはここの学芸員さんなんだから、あとでちゃんとお礼を言っておかないとね」

さらりと話を切り上げると、満はそう言って近くにいた仕事の知り合いらしい人に挨拶をした。
いつもどおりの笑顔。
その仕事相手が、満の話に引きこまれているのがわかる。
向きあう人を自分のペースに持ち込むことのできる社交能力は、本当にたいしたものだと感心する。
毎日同じように生活して長い時間一緒に過ごしているのにもかかわらず、それは決して自分には身につくことのない力だ。

「薫。ほら、あなたも挨拶なさいよ」

突然話をふられて一瞬戸惑ったが、ふた言ほどありきたりのお礼の言葉を述べると、あとは満がうまくまとめてくれた。
相手はまだ話をしたそうな顔をしていたが、満は「それじゃ」と上手に切ると、素早くホールの別の場所へ進んでいった。

「薫の絵、好評みたいね。もう何点か購入の予約も入ってるって」
「そう。よかったわね」
「全く。他人ごとみたいに言うんだから」

実際、他人ごとのようなものだった。
自分の手をかけたものには違いはないけれども、一度離れてしまったものがその後どこでどうなっているのかには、はっきり言って興味はない。
一度離れた指先がまだ興味の糸を失わずにつなぎとめている場合はごく少ない。

ふと、思い出して自分の指先を見直してみた。
残っている、と思った。
数歩前を歩いている満に、背後からゆっくりと手を伸ばしてみる。
指先が触れようかとするほんのわずかな瞬間に、まるで知っていたかのように満が振り返って体の向きを変えた。

「咲と舞も、今日は来ているかしら」
「えっ?そうなの?」
「ほら、この前連絡してたじゃない。都合がつくようなら二人で来てくれるって。明日って可能性もあるけど」
「ああ。そういえば…」
「ちょっと、薫。どうしちゃったの?さっきから」

満がいたずらっぽく苦笑した表情をした。
今朝触れた指の冷たさがどうしても気になって、目の前で腕を組む満の胸元に手を伸ばしたい衝動にかられる。
言えば済むだけの問題かもしれないと思うけれど、だけどもなんと言ってそれを乞うべきなんだろうかと混乱する。
一度差し伸べようとした手を握り直したとき、背後から名前を呼ぶ声がした。

「満ーっ! 薫ーっ!」
「あ!咲、舞。こっちよ」

見ると、相変わらずの大きな声の咲と、恥ずかしそうにしながらその後ろについてくる舞の姿が見えた。
二人に会えたことは嬉しかったけれども、何が胸に詰まるようなものをその時には感じた。

*****

展示会の一日目が無事に終わり、家に帰りついた。
部屋に入ってすぐ、疲れたふうに一つため息をつくと満は上着を脱いだ。
薄着になった肩口に背後からそっと手を乗せると、不思議そうな顔をした満が斜め下から視線を送ってきた。

「どうかした?薫」
「わからない」

肩口から滑らせるようにして手を下ろしていく。手首の直前くらいで一度動きを止めた。

「ねえ、満。今日ずっと気になっていたんだけど」
「何?薫」

手首を軽く掴んだまま躊躇していると、満がくるりと体を翻して正面から向き合ってきた。
じっと見つめられると、何もかもをそのまま話してしまってもよいような気分になってくる。

「手がね」
「手?」
「そう、満の手なんだけど」

取りに行こうと前に差し伸べかけると、微かに笑った満が逆に自分から指先を首元にあててきた。
ひんやりした冷たさを首に感じて、思わず目を閉じる。

「朝からずっと、触れたいと思ってたの」
「そう」

目を閉じたままでも満が笑ったのがわかった。軽い吐息の気配がして、柔らかな唇の感触がした。

「それじゃ薫は今日一日、私の手のことを考えてたの?」
「そうね。なぜかしら」
「触れたいって?」
「ええ」

顔を離した満が、面白そうに手をとって指先を交互にからませてきた。

「いいわね、それ」

絡んだ指先が、手の甲を滑らかに撫でていく。
冷たさが、自分の手の熱と同じくらいになっていくのが感じられる。

もう一度キスをすると、激しく胸が鳴り出したのがわかった。

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