なないろのゆり - 【満薫】狭い傘を差して

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【満薫】狭い傘を差して

親睦会が終了して、満と薫が外に出ようとすると、ちょうど見計らったかのように雨が降りだしてきた。
仕方がないかと満が諦めて雨の中に踏み出そうとしたとき、背後でどうぞと会場のスタッフから一本の傘が差し出された。
反射的に笑顔を作った満が傘を受け取ろうとするよりも早く、薫が愛想の良い笑顔を浮かべてお礼を言った。

     *****

「だから雨が降りだしたのかしらね」

そう満がつぶやいた一言に、「え?」と相変わらず笑顔を作ったままの薫が振り返った。
上機嫌に見える薫とは対照的に、満はひとつため息をつく。

「一体どうしたの?薫」

何のことを言われたのかすぐにわかったのか、薫はその言葉に微かに表情を曇らせる。
薫がうつむくと同時に手にしていた傘が傾いて、パラパラと大きな雨粒が地面に落ちた。

あいにく借りることのできた傘は一本しかなかったので、同じ傘の下で真横を歩く満にはその薫の様子が至近距離で感じられた。
満が視線を薫側に向けると、どういう表情を作れば良いのかわからないような横顔が見えた。

「満。別に私は無理をしているわけじゃないのよ」
「それはわかってるわ。ただ、思ったよりもよくできていたものだから」

もともと、薫が自分から仕事関係の会合に来たいと言い出したことなんて一度もなかった。これまで仕事に必要な打ち合わせは満一人で全部まとめることがほとんどで、よほど大事な展示会や新しい委託先との顔合わせにも、かなり強引に引っ張らなければ薫は顔を出そうともしないくらいだった。

そんな薫が今日に限って—–比較的重要度の低い所属連合会の親睦会という集まりにも関わらず—–薫の方から一緒に行ってもいいかと聞いてきたのだ。
満としては特に断る理由もなかったし、仕事をうまくこなすということだけを考えれば、作者である薫が自分から顔を売ってくれるのは何より効果のあることだったので、連れ立って参加をすることをあまり深く考えずに承諾をした。
そんな薫は親睦会の最中も終始笑顔を絶やさず、満も驚くほどの社交性を発揮していた。

会が終わった今、満がその薫の態度をあまりよく思えていないとしたら、それは態度があまりにも不自然であるからではなく、その真逆にあまりにも自然になじんでいたからだと思う。
だけども満は改めてもう一度ため息をつくと、「もういいわ」とそれ以上薫の態度についてあれこれ言うのをやめることにした。

「よく降る雨ね」
「そうね。夕立程度かと思ったら、長く続きそうな気配ね」

実際、見上げた夕暮れ過ぎの時刻の空にはいつの間にやら厚い雲がどんよりとのしかかっていて、ちょっとやそっとではなくなりそうもない気配をしていた。
雨粒は絶え間なく激しく降りかかってきていて、借してもらった間に合わせの狭い傘の上で大げさなほどの音を立て続けている。

二人で一本の傘は、背の高い薫の方が自然に手にしていた。
しばらくうるさい雨音に会話を中断させられたあとで、急に薫が振り仰ぐように視線を上に向けた。

「ねえ、満。雨音って意外と規則的なリズムをしていないってこと知ってた?」
「雨音?さあ、特に気にして聞いたことはないわ」
「私もついこの間までそう思っていたの」

薫が暗い空を見つめながら少し楽しそうに口元を緩ませるのがわかった。
満は小さく相槌をうつと、薫の話の続きを促した。

「何日か前の明け方、目が覚めた時にやっぱり雨が降っててね。ほら、私の寝ている場所からだとベランダに雨が落ちる様子がよく見えるでしょう?それでしばらくじっと雨を観察してみたことがあったの。その時に気がついたのよ」
「あまり雨がリズム通りじゃないってことを?」
「一応ね、リズムはあるのよ。トン、トン、トンて」

そう言いながら薫は指先で軽く叩く動作をする。

「ただね、このリズムが続くのかなって思って静かに聞いてると、時々違う音が入ってきてしまうの。突然細かくなったり、かと思ったら大きくなったり。何でもないことのように思えるでしょうけど、長く聞いてるとなんだか不思議な気持ちになってきて。多分きっと、今あるリズムはそのまま半永久的に続いて、消えるときはそれが自然に小さくなくなっていくものなんだろうって、勝手に思い込んでしまうからね」
「ふうん。おもしろい話ね」

ちょうどその薫の話に合わせるように、雨がバラバラバラと斜めに注がれてきた。
相変わらず楽しそうに空を見ている薫を横目にしてから、満もなんとなく上空へと視線を移しかけた。
そこで薫の手にしている傘が、その小ささのわりに満に雨粒の音を大きめに聞かせていることに気がつく。
明らかに自分側に傾けられている傘に気づいて、満は少し慌てた。

「薫。いいわよ、別に」
「何が?」
「何って、傘よ。私の方に傾ける必要なんてないでしょう?」

満はそう言うと薫が手にしている傘の柄に自分の手を添えさせた。
二人で傘を持つようにすると、満の反対側の肩にパラパラと雨が落ちかかってきた。

「本当にどうしちゃったの?薫。あなたらしくもない」
「そうかしら?」

同じ傘の柄を持った手を離すことができにくくなって、満はそのまま薫と手を重ねたまま一緒にしばらく歩いた。
その間も少しずつ雨の勢いは強まってきていて、あと数分程度の自宅までの道のりをまるで閉じ込められた空間のように見せている。
狭くなった暗い視野の中で、重ねた手だけがとても温かく感じられた。

自分たちの足音もかき消すように続いていた雨音が少しだけ弱まった頃、そのタイミングを見計らって薫が口を開いた。

「だからね、時々は乱れるのよ」
「うん?」
「少しだけ待っててくれれば、すぐにリズムは戻ってくるはずなの」

ぽたぽたと、傘から流れる水滴が歩く足元を濡らしていた。
絶え間なく降り注ぐ雨が地面に溜まって、じんわりとした湿り気を靴の内側にまで伝え始めている。

「薫、だいぶ濡れたんじゃない?」
「そうね。これじゃ、避けようもないものね」
「少しでも避ける努力をしてみるべきなのかしら」
「できるなら、そうね」

ゆっくりと歩くスピードを満が落とすと、手を重ねたままの薫も自然に速度を緩めた。
ほとんど立ち止まるくらいになって、ようやく薫が不思議そうに満の方を見た。

「ほんのちょっとだけ、濡れずに済む方法がわかったわ」
「? どんな?」

そこで満は完全に立ち止まった。
傘を持っていない方の手を薫の肩口に回すとゆっくり探すようにして唇を重ねる。
暗がりの中で頬が触れると、驚くほどひんやりとして冷たかった。

「こんなときくらいは、少し近づいて歩いてもいいんじゃないかしら」
「満らしくないわね」

遠くに見える微かな灯りを頼りに満に見えた薫の顔は、さっきまでとは少し様子の違う笑顔だった。

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