なないろのゆり - SS:春の追い風

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SS:春の追い風

大野春花と会ったのは、高校1年生の9月。人気のない校舎の裏でのことだった。
進学クラスの夏井響が補習を終え、自宅への近道になる裏門から抜けて出ようとしたとき、不意に中庭の片隅に半分うずくまるようにしていた誰かに気がついて足を止めたのがきっかけだった。

あいにくその日は一緒に帰る友達と時間が合わずに一人きりで、正直そのままそっと見ない振りをして立ち去ろうかとも思ったのだけれど、同じ制服を着た小柄な女の子が裏庭に一人背中を丸めているというのは穏やかでない事情がありそうな気がして、話しかけずにはいられなかった。

「あの、どうかしましたか? 具合でも?」

響の声に大げさ過ぎるくらいにビクっと反応をしてその女の子は振り返った。胸元のリボンの色は自分と同じ赤色で同学年の1年生ということがわかった。
合わせた顔はひどく混乱している様子で、泣きはらした目がかわいそうなくらいに瞼を赤く腫らせていた。

「その、ごめんなさい。話しかけちゃって。でももう時間も遅いし。先生もそろそろ来ちゃうから」

校舎の裏側は先生用の駐車場にも近く、物分りの良い先生ならまだしもうっとおしい教頭や生活指導の先生に見られてしまったりしたら、結構面倒なことにもなりかねなかった。
余計なお世話でなければいいけど、と響は前置きしてこの近くの公園に移動しないかと誘ってみた。友達に相談される状況にそれほど慣れているわけではなかったが、なんとなく目の前の同級生は今一人になりなくないんじゃないかと思った。読みどおり、その子は誘われるまま校舎をあとに公園へ響の後をついてきた。

春花と名乗ったその子は、響とはかなり教室の場所の離れたクラスだったので、入学以来これまで全く接点を持ってこなかった。そのこともあって少し安心があったのか、春花はかなり具体的に自分がそこで一人泣いていた理由を話してくれた。

「親友だと思ってたのに裏切られたっていうか。だってまさかあんな…」

見るからに大人しそうな雰囲気の春花は、高校に入ってからも中学からの友達である秋穂という子とばかり一緒に行動していたという。秋穂は昔から面倒見が良く、なかなか自分の意見の言えない性格の春花のフォロー役として中学3年間とこれまでの数ヶ月を通し親しく友達づきあいをしてきた。春花も秋穂のことを一番の親友なのだとすっかり信じきっていた。ところがここ数日、秋穂に自分を避けるような仕草をされ始めたことに春花は気がついた。

「もし私が知らずに悪いことをしていたんならきちんと謝ろうと思って、それで秋穂を呼び出したんだけど」
「ひどいことでも言われたの?」
「ううん。その逆」
「ていうと?」
「私のこと、『好き』って」
「それって、まさか」
「キス、されて」

それまで平静だった響の心臓が大きく鳴った。聞いてはいけないことを聞いてしまったかもしれない、という思いもあったがそれ以上に、その話を聞いた瞬間目の前の春花が不思議に色っぽく、艶を感じる存在に思えてしまったことの方が大きい。

「秋穂とは、ずっと友達でいたいって思ってたの。でもあっちはそうは思ってなかったんだなって。だって、もうこうなっちゃったら明日から秋穂と普通に話せないよ」
「うーん。でもさ、ほら。あっちも悩んだんじゃないかな。そう言っちゃうまで。何て言っていいかわからないんだけど」

誰をどうフォローして、どうするべきか助言することなんて響にはできそうもない気がした。
どうすればいいの?とまた泣きそうになる春花を前に、大丈夫だよ、と曖昧な返事をすることしかできず、結局かなり夜も遅くなってから春花を家まで送っていくことになってしまった。

「とりあえずさ。もしクラスとか居づらいようだったら、私のところに来ればいいから」
「いいの?」
「うん。お昼とか、よければ一緒に食べる?」

うつむきっぱなしだった春花の顔がそれを聞いて急に明るくなり、響はこれで良かったんだろうと思った。

     *****

最初は遠慮がちに、だけども次第に頻繁に春花は響のクラスに顔を出すようになってきた。
春花のクラスは響とは履修の科目にかなり差があったものの、自主的に補習への参加を志願したりもして、放課後にはかなり多くの時間を一緒に過ごすようにもなった。
勉強を教えるという名目でお互いの家に行き来もするようになったし、休日に二人で出かけることも増えてきた。

成り行きとはいえ秋穂という子から春花をとってしまったような形になったことに、響は罪悪感を感じなくもなかった。
だけども同時に、秋穂が春花にああいう行動をとってしまった理由もなんとなくわからなくもないような気がした。

というのは、春花は最初こそ警戒心強く打ち解けにくいところがあったものの慣れてくると全くその正反対で、自分への依存を感じるほどべったりとついてくるタイプの子だったからだ。
廊下で姿を見つけると、ためらいなく走りよってきて後ろから抱きついたり、二人で街を歩いているとさりげなく自然に手をつないできたり。またそのスキンシップをたしなめたりすると世界の終わりが来たみたいに悲しそうに落ち込んでみたりという感じだ。

多分他の女友達に同じことをされたらいい加減うざいと思うのだろうが、あいにく春花は小柄な身体に小動物を思わせる愛嬌ある顔立ちをしていて、はねつけるようなことをしてしまうとまるで自分が悪人になったような気持ちにさせられてしまう。
しかし無邪気な性格をしている反面、時々ひどく辛らつな批評を口にすることもあり、子供と大人の心が複雑に混在もしているようだった。

妙な色気がある、と言ってもいい。

食べ物を口に運ぶ瞬間、意味もなく遠くを見ている時の目、肩に触れた手を滑らせて腕を撫でる仕草。ごくわずかな瞬間ではあったが、不意にぞっとするような艶かしさを響は感じることがあった。
冬が来て、お互い学年が一つ上がる時期には、秋穂に同情すら覚えるようになっていた。

     *****

春休みを前に、一年生として最後の補講が終わった日、響と春花は二人並んで裏門から抜ける帰り道を歩いていた。
響と一緒に勉強をするようになった春花は成績をどんどん伸ばしており、二年生から進学クラスへ編入する試験も無事にこなし、春から同じクラスになることもほぼ確実になっていた。
いつにもまして上機嫌な春花を二歩下がった位置で歩きながら見ていると、響にも自然と微笑みがうつってきた。

「来年一年は響ちゃんと一緒だ。嬉しいな」
「でも特進コースだからね。大変だよ。課題も補習ももっと増えるし」
「大丈夫。だって響ちゃんがいるもん」

咲きかけのつぼみに覆われた庭木の道を進んでいると、急に立ち止まった春花が響の手を引いた。もう咲いてる花があるよ、と言われ中庭の中へと踏み入っていく。
確かに、中庭の樹木にはたくさんのつぼみの中でほんの少し早咲きをした花が一輪あって、響がそれを見上げているとそっと背後から指を絡ませられたのがわかった。

「響ちゃんは、私と来年一緒で嬉しい?」
「え?うん。まあね」
「私といて、楽しいって思ってくれる?」
「う、うん。友達だし」
「そうじゃなくて。私のこと、」

絡んだ指を持ち上げられると、軽く唇が触れられたのがわかった。斜め後ろにいる春花のことを、響は振り向くことができなかった。

「特別に、思ってくれてる?」
「特別って。どういう…」

ぐいっと、肩口を引かれて春花に響は向かい合った。
真剣に自分を下から見据える春花の目は、これまで見てきた中でも一番きれいだった。
肩から指先が頬に触れ、顔を引き寄せられたとき、半年ほど前にここであったのだろう本当のことがわかったように思えた。
突き放すこともできないままゆっくり目を閉じると、小ぶりの果物のような柔らかな唇が重ねられてきた。
「響ちゃんは、ずっといっしょにいてくれるよね」
「わ、私は」

いつもよりも低めの、本気の声色に響は我に返って後じさった。
なんとも表現しづらい、押し寄せる怖いくらいの衝動と逃げたくなる気持ちがぐるぐると頭の奥で渦巻いた。
反射的に春花の手を振り解いて、じりじりと数歩出口に向かって響きはさがった。

「逃げるの? どうして?」
「逃げるんじゃなくて。いや、だからその。私、どうしていいか」
「同じじゃない。どうして? 何が怖いっていうの?」

ざく、と胸に何か突き刺さったように感じた。
今にも泣き出しそうな顔の春花が、自分の弱気を責めるような目で見ている。
場違いな、春を告げるような柔らかな風が背後から響の髪の毛を揺らしていた。

「私、響ちゃんのことが好き」
「私は、私は…」
「響ちゃんだって、私のこと好きって。思ってたんじゃないの? 違うの?」

違わなかった。

落ち着けない気持ちのままふと視線を上げると、春花の両目から大粒の涙が落ちたのが見えた。弱気にうつむこうとはしないで、まっすぐに自分に向かおうとしている顔を見ていたら、自然と下がりかけた足が前に踏み出せていた。

ごめんね、と口に出そうとしたものの声にならず、数度ためらいながらようやく春花の肩に手を触れた。
触れられた瞬間、涙の止まらないまま春花がにっこり響に微笑んだ。

【Fin.】

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