なないろのゆり - SS:雨は止まない

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SS:雨は止まない

 傷つくのがわかる気持ちなら、最初から持たない方がいい。

     *

 飲み会の途中。美雨は周囲がどっと笑った声に合わせて、内容もわからないまま笑顔を作った。ふと見渡すと、今日はいつになく人数が多い。そういえば、今日は二次会からは合同になるかもしれないって部長が言ってたっけ、と今更のように思い出す。
 美雨の所属するチアリーディング部は今日試合があった大学アメフト部の応援をしてきたところで、今その反省会と打ち上げをしていたところである。

 強豪校を相手にした苦しい試合だったが、こちらのエースの活躍もあり劇的な逆転で勝利をおさめたとあって、選手たちと合流した二次会はかなりの盛り上がりを見せている。
 美雨の正面では、アメフト部のいかつい体型をしたラインバッカーが、チア部長である眞子と肩を摺り寄せるほどの距離で楽しげに話しをしているところだった。
 きついな、と美雨は思って席を立った。
 周りにいた数人がどうしたのとテンション高く引きとめにかかったが、美雨はトイレと言って座を離れて店の奥へと向かった。

     *

「細いのかと思ったら、意外と筋肉ついてるんだね」

 セックスのあと、けだるく横になっている美雨の二の腕のあたりを綾香はラインに沿って艶かしくさすりながら言った。
 正直返事をするのも面倒ではあったけれども、サービスのつもりで微笑みを作ると美雨は自分の腕に置かれた綾香の手に自分の手を重ねた。

「うちのチア部はアクロバットもやるし、結構体力勝負なの。私は支える方の立場だからね」

 合図にタイミングを合わせ放り投げると、小柄な身体は円を描いて高く宙を舞っていく。落ちてくる瞬間の、受け止める自分たちを信頼しきった無防備な姿が美雨は何より好きだった。
 会話の矛先を変えるため、美雨は「綾香さんはスポーツってしてなかったの?」とさして興味もない質問を返した。自分のこと、特にチア部のことについて詳しく尋ねられるのは好きじゃない。

「その質問されるの、これで5度目くらいな気がするけどね」と、苦笑しながらも綾香は美雨の腕をさするのをやめない。「私は陸上やってて、高校の時には棒高跳びで国体まで行ったよ」

 言われてみれば前にもそんな話をしたような気がする。美雨は思い出した。
「あ、そっか。練習中に大きな怪我して、その時お医者さんになることを決めたんだっけ」
「思い出してくれた?」

 実際医者となり、30代にもなったが綾香はいまだに歩く時わずかに片足を引きずるような仕草をする。本人は完全に周囲に気づかれないようにリハビリをしたつもりらしいが、美雨は会ったその日に見せまいとする古傷の存在にはすぐ気づいた。

「ねえ。高いところから落ちる時って、どんな気分」
「どうって。あんまり落ちるときのことは考えないよ。飛ぶために飛ぶんだから、その後のことは別に」
「でも、落ちる時のことを考えなかったから、怪我をしたんでしょ」

 自分でも口が悪いことは自覚している。だけども美雨はそんな憎まれ口を自分きくたびに、なぜだか綾香は楽しそうな表情をするのを知っていた。年齢にも立場にも差がありすぎるせいかもしれない。
 
     *

 トイレに行くふりをして、店の戸口を抜けてビルの非常階段付近に出ると、美雨は取り出した携帯で綾香に電話をかけた。今日は夜勤でないと言っていたはずだ。

「飲み会なんてつまんない。これからそっちに行ってもいい?」
「そう?うーん。でも、ごめん。今ちょっとすごく疲れてて」
「断るの?あっそ。じゃあいい」
「はいはい…」

 少し言い争いをして、電話を切ると不意に美雨は背後に人の気配を感じた。
 振り返ると、さっきアメフト部員たちときわどいボディータッチまでしていたはずの部長の眞子が、冷静な顔で一人そこに立っていた。

「抜けちゃうの? みんなこれから三次会行くって言ってるよ」
「ええと…その。すみません」
「飲み会の後にわざわざ会いに行かなきゃいけないような『彼』?」
「そんなんじゃ…」

 バツ悪く、美雨は持っていた携帯を背中に隠すようにした。うそうそ、と部長は笑って美雨の肩を叩く。

「悪いと思ったけど、さっきここ通りかかったとき、美雨の電話ちょっと聞いちゃったの。ケンカしてたみたいだけど、女の人の声だったよね? お母さん?」
「違いますよー。いいじゃないですか、誰でも。部長の知らない人ですー」

 内心ギク、としたことを隠すために美雨はふざけた笑顔を作った。まさかそこまで聞かれていたとは思わなかったし、眞子には特に聞かれたくなかった。

 チアリーディングという競技を美雨が高校・大学と続けてきたのは、眞子という先輩の存在があったからだ。長くあこがれていた人だった。
 同じ高校から同じ大学へと進学してはいたが眞子の存在はあまりにも遠く、せめてほんの少しだけでも近くにいたいというのが部活動の動機だった。
 眞子は高校のときからいつも人の中心にいる目立つ存在で、遠くから見ているだけでも十分にその魅力はよくわかった。美雨自身が積極的に望まなかったこともあるが、これまでほとんど個人的な話はしてきていない。ましてや、こんなふうに二人きりになったことなんて一度もない。

 美雨が作り笑顔をしたと同時に、眞子は小さなため息をついた。眞子の顔から笑顔が消えて、目元が少しだけ真剣になった。

「美雨ってさ。誰にでもそんな感じ?」
「誰って。何ですか?」
「ううん。なんだろな…なんか、腹に一物?っていうか。わかんないけど」

 答えずに、美雨は黙ってうつむいた。
 眞子は悪いことを言ってしまったと思ったのかしまったというふうに自分の口元を押さえ、少し間をおいてから視線を美雨に戻した。
 
「ねえ、まだみんなには言ってないんだけど」
「はい?」
「次の大会用に、新しい技の練習をするじゃない。その時、トップに美雨のこと推したいって思ってるの」
「私が?!」

 チア競技のポジションで、ピラミッドの頂上からジャンプをするパートがトップだ。確かにそろそろ代替わりの時期だが、まさか自分がそれをすることになるとは、美雨は考えたこともなかった。

「どうかな。やってみる気ってある?」
「どうして私に?」
「なんでって、基本の演技はきれいだし…体型だって適当だし…」

 そこまで言いかけて、眞子は首を振った。そうじゃないなと独り言を言って、美雨の肩に手を置く。
 わずかに微笑んだ顔が照れているようにも見える。
 
「ちょっと見てみたいって思ったからかな。美雨が飛ぶところ」

 言われた瞬間、顔が赤くなったのがわかった。美雨は柄にもない、と自嘲気味に思う。眞子がどういうつもりでそう言っているのかはわからないが、その言葉が嘘ではないことはよくわかった。

「考えておいてくれる?返事聞いてから、みんなには伝えようと思うし」
「わかりました…」
「へぇ」
「何ですか?」

 まだ肩に置かれたままの手が、やわらかく首筋のあたりを撫でた。高めの手のひらの体温が、熱いと感じられるくらいだった。

「言ってみるものね。てっきり、美雨はすぐに断ると思ってた」
「……」

 言われてみれば自分でも不思議だった。本当であれば、この眞子とはここまで関わりたいとは望んでいなかった。自分のことをこんなに見て評価してくれていたなんて、思ってもいなかった。

     *

 真夜中を過ぎて、ほろ酔いになった美雨は綾香の家を訪ねた。
 少し眠そうではあったけれども、綾香は訪れた美雨のことをいつものように優しく出迎えた。

「あのね、綾香さん。私、飛ぶことになるかもしれない」

 酔い覚ましにと、綾香はぬるくいれたばかりお茶を美雨に手渡した。いつになく興奮気味に美雨はそのことを綾香に話し、話がひと段落するまで綾香は何の感想もさしはさまなかった。

「もし私が飛ぶことになったら、綾香さんは観に来てくれる?」
「そうだね。その時にはね」

 そう言った綾香が一瞬だけ目を伏せた。
 美雨はそのうつむいた顔が遠くに視線を走らせたところを見て、どき、と強く胸が鳴った。
 その時見せた綾香の表情は、付き合い始めてから今まで一度も見たことのないほど冷たい色をしていた。
 すぐに笑顔に戻った綾香と、美雨は視線を合わせて笑った。

「楽しみだな。期待してるよ」

 待ち望んでいるのは、自分の飛ぶ姿なのか、落ちる姿なのか。
 どっちなんだろうと美雨は思った。
 
【Fin.】

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