なないろのゆり - SS:on the Edge

Home > SS:on the Edge

SS:on the Edge

社内で一番長い廊下の向こう側から由真が歩いてくるのが見えて、咲夜香は思わず反対側に逃げ出してしまいそうになった。
研修会から約1ヶ月が経った、夕方の定時ほんの少し前のことだった。

***

新人研修の厳しいことで有名なこの会社では、新卒で入社が決まった人員はすべてまだ大学の春休みでもある3月中に泊り込みの合宿参加を強いられる。
人里離れた山中にある合宿施設で共同生活を送りながら、みっちりと社会人としての常識を叩き込まれるというわけだ。
合宿の時点ではまだ正規採用の身分でないこともあり、その厳しさに数年に一度は逃げ出す者もいるというほどのスケジュールである。

二人一組の部屋割りで、咲夜香は同室の由真と会ってすぐに仲良くなった。
合宿中から、由真は他の新人に比べて一つ抜ける存在で、話をしても頭が切れる人であることはすぐにわかった。由真が入社試験の時から実力を認められていて、研修後には異例の花形部署への配属が予定されていたことも研修後に知った。

だけども研修中の由真は全く奢ったところもなく、さりげなく困っている咲夜香のことを助けてくれたりもして、短い期間のうちにすっかり咲夜香は気持ちを打ち解けさせていた。

研修最終日の打ち上げのあと、少し早めに部屋に引き上げて二人は二人だけの静かな二次会を開いた。
真夜中を回った頃、話はお互いの私生活のちょっとプライベートな部分に踏み込んでいった。

「彼氏は?こんな長く留守にしてたんだし、帰ってすぐにも会うんじゃない?」
「……別れたの。丁度合宿の直前に」

由真の質問に咲夜香はため息まじりに答えた。仲良くやってきたはずの彼だったが、咲夜香は第一希望が実った就職活動に対し彼の方はなかなか思うようにいかず、ケンカの回数が増えてこれ以上は一緒にはいられないという結論に至ったのだった。
そこまで咲夜香が話すと、由真は嫌なことを聞いてしまってごめんなさいと謝った。もう吹っ切れたから別にいいと咲夜香は言うと、反対に由真の恋人について質問を返した。

すると咲夜香は静かに笑って返事をごまかした。

「それよりも、ねえ。ここからこんなきれいな夜景が見れるって、気づいてた?」

山の中腹に立てられた宿舎からは、一つ森林を越える形で市街地を見下ろすことができた。丁度その日は昼から天気が良かったこともあり、天井の星と下界の灯りとの散りばめられた光の粒が眩しく思えるほどの景色だった。
しばらく二人は窓際に並んで、黙ってそれを眺めていた。

何か話を切り出すべきか、それとも相手の出方を待つべきか。咲夜香は遠くの夜景の美しさに心半分は見とれていつつも目の前の友人のことが気になり、ちらちらと時折うかがうように視線を横に向けたりしていた。

「もう、会えないっていうわけでもないのよね」
「え? あ、うん」

つぶやくように由真が言った言葉の意味がわからず、なんとなく相槌を打ったとき、滑るように相手の指先が自分の頬にかかった髪を撫でたのを感じた。

軽く触れ、やや引こうとし、自分が避けるような仕草をしないでいることを確かめるように待って、それから改めて指先は頬から耳元へと移動してきた。

顔を近づけられたのがわかって、反射的に咲夜香は顔をそらした。
固く目を閉じてはいたが、自分のほぼ真横に相手の顔があることはわかっていた。
この上ないほど優しく、大切なものを扱うように二、三度髪を撫でられてから、咲夜香は頬に唇をつけられた。
無言のままそうして数度触れられていると、少しずつ自分の拒絶には意味がないように思えてきた。
柔らかい唇の感触が顎の近くにあてられたとき、次の瞬間には自然に自分の唇を差し出すように上向けていた。

長いキスの途中で持っていたグラスをテーブルに置かれ、壁際に身体を押し付けられるようにされると、ひどく身体の距離は密着したものになっていた。

由真はその間一言も話さず、ただこちらの警戒心を解こうとするように優しげな仕草で触れる場所を増やしていった。

付き合っていた彼とはもちろん幾度となくセックスはしてきていたが、その触れられ方があまりにも違いすぎていたせいで、これから自分がしようとしていることがそれと同じものなのだという実感がなかなか得られなかった。

薄いシャツの下から手を入れられ、長く上半身をなぞられた後、ゆっくりとジャージのズボンの中に指が差し入れられてきたとき、咲夜香は初めて自分の下半身がひどく濡れてしまっていたことに気づいた。

その反応に安心をしたように、初めてやや大胆な仕草で指先は割り入ってくるように力を込められた。
恥ずかしさと緊張から咲夜香は由真の背中にしがみつくようにして腕を回すと、壁に押し付けられた背中と抱え込まれていない方の足だけで咲夜香はようやく立っているという姿勢になった。

「あ、あの…。ゆま…」

何を言っていいかわからなくて、小さく中途半端にうめくような声だけを、何度も咲夜香は口にしていた。持ち上げられた片足がしびれかけた頃、背筋から首筋にぞっと流れるような感覚があり、数度身体を痙攣させると咲夜香はその場にずるずるとへたり込んだ。

そこでやっとそれまで強く閉じていた目を開くと、自分の顔を覗き込む由真の顔があった。心持ち悲しげな目をしているようでもあって、咲夜香がかける言葉を捜していると、それを待たずに由真は咲夜香にキスをした。

「立てる?」
「うん」

それから二人順番に部屋のシャワーを使うと、特に何の言葉をかけるでもなくそれぞれのベッドにもぐりこんだ。
まだどこかの部屋では続いているのだろう宴会の声がひどく遠くから響いてきていたが、横になった咲夜香には脱力感からすぐに眠気が襲ってきた。
深い眠りに落ちる寸前、由真の声だろう「お休み」という言葉が聞こえた気がした。多分返事をする前に、咲夜香は眠ってしまったのだと思う。

***

それから何事もなかったかのように朝を迎え、他の友達と同じように研修会を終えてみんなはそれぞれの家に帰った。
やがて新年度になり、入社式も終わり、配属された課での仕事を覚えはじめた頃だった。

配属課は違うものの同じ建物内の社内にいるわけで、いつかは顔を合わせるときがくるだろうと思ってはいた。その瞬間が来るのが咲夜香は少し怖かった。

何の意図があって、どういうつもりであんなことをしたのかはわからないが、問題はむしろそんな相手の気持ちではなく、いざ目にしたときに自分がどう思うかということだった。

もう一度由真に会ったとき、抱く感情は嫌悪感かもしれなかったし、羞恥心が強すぎてまともに顔が見れないかもしれなかった。
だけどもきっと一番怖いと思っていたのはそれよりも、逆の気持ちを持ってしまうことだった。

二つの建物をつなぐ渡り廊下はガラス張りで、春の日差しが温かく一面に差し込まれている。
隠れる場所もない通路の向こう側から、彼女が一人で歩いてくるのが見えた。

廊下の手前の曲がり角から、咲夜香は由真の姿を眺めた。
研修中よりも少し痩せたようにも見えたが、足取りはしっかりとしていて、まっすぐ姿勢を伸ばして前を向いて歩いている。

どのタイミングで出るべきか、あるいは出ないべきかと咲夜香が迷っていると、ふとこちらに向かっていたはずの由真が足を止め、渡り廊下の真ん中で視線を外に向けたのが見えた。

遠い景色を見る由真の横顔は、何かを待っているようでもあった。

咲夜香はおそらく自分の存在に気づいているのであろう、由真に対して今どういう態度をとるべきか考えた。平然と通りかかり、そっと彼女の背後を抜けて向こう側へ渡ることもできた。ごく普通の同僚として、笑顔で当たり障りのない話を振ることもできた。
あえて顔を見ないようにこの場を反対方向に立ち去ってこの場をやり過ごすこともできた。

考えても答えは出なかった。
考えてもわからなかったので、咲夜香は曲がり角を曲がると、まっすぐ彼女のもとへと歩いていった。どうしようもないほど、近づくごとに鼓動が早くなっていくのがわかった。

「あの、由真」

由真が振り返って咲夜香を見た。
目が合った途端に、咲夜香はなぜだかわからないものがこみ上げてきた。

「話を、してもいい?」

やっとそう告げたと同時に、こらえきれずに両目から涙がこぼれ落ちてきた。由真が心配そうに肩に手をおくと、咲夜香は溢れ出る気持ちを押しとどめようとするように、両手で顔を覆って隠した。

【Fin.】

このエントリをはてなブックマークに追加このエントリをdel.icio.usに追加このエントリをLivedoor Clipに追加このエントリをYahoo!ブックマークに追加このエントリをBuzzurl(バザール)に追加このエントリをChoixに追加

Return to page top