なないろのゆり - SS:第三者だから

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SS:第三者だから

「ねえねえ、知ってる? マーケティング二課の尾身さんと総務の亀石さんが付き合ってるって話」

社内の飲み会の三次会として開かれた気の置けない数人だけの女子会で、いきなり同僚の一人がそんな噂話を持ち出してきた。
広報デザイン課に勤めている狩野柚香にとっては、どちらの課も仕事でよく出入りする場所であったので、話題の二人—–尾身あかりさんと亀石鈴さん—–のことはそれなりに知っていた。

「何バカなこと言ってるの。それじゃ何? 二人はレズってこと?」
「なんじゃない? 亀石さんはアレだけど、尾身さんの方はアラサー過ぎても恋人とか結婚の話題全然ないし、なんとなくそんなふうにも見えるない?」

総務の亀石さんは新卒でこの会社に入って2年目の、おそらくは育ちがよいのであろう丁寧な言葉遣いと立ち居振る舞いが男性社員や取引先にも評判のよい、清楚なイメージの子だ。
対する尾身さんはいくつか異業種を転職し、ほとんど引き抜きのような形でここに中途入社してきた「できる女」で、現在は社内の重要な販売戦略のリーダーとしてかなりの実力を発揮している。スタイルや顔立ちのレベルも同年代の女性に比べてかなり高い方なのだが、強すぎるエネルギーを発しているせいか威圧感を感じて苦手と思う人も社内にはいると聞いている。

柚香はこれまでなんとなくその二人から「違和感」のような雰囲気を感じてはいたものの、ここまではっきり社内の噂になっているとは正直思ってもみなかった。

「怪しいなー。それって証拠のある話なの? また尾身さんのこと妬む奴がでっち上げた中傷なんじゃないかって気がするけど」
「そうかもしれないけど。でもあの二人、絶対何かあるよ。だって普通課同士で接点とかないはずなのに時々妙に親しそうに話してるところ見るよ。営業の加藤がこの前、亀石さんの髪の毛についた糸くずを尾身さんが取ってるところ見たらしいんだけど、こう…ほら、あれ。わかるでしょ? そういう雰囲気って」

結局のところ決定的な証拠があるわけではなく、社内の数人が見かけた「雰囲気」の総合から出てきた噂ということらしい。しばらく黙って成り行きを聞くだけにしていた柚香だったが、最初に噂を言い出した同僚がいきなり話を振ってきた。

「柚香はそんな感じしなかった? よく話するんでしょ? 二人と」
「えっと…うん。尾身さんとは、そうだね。今の仕事が二課共同で進んでるし」
「ね、ね。今度機会があったらさ、そのへんのこと探ってみてよ。こっそりでいいから」
「そ、そんな! とっても怖くって」

最初は否定をしたものの、できればこの話は早く終わってほしくかった柚香はしぶしぶその調査依頼を承諾した。口には出せなかったが、知ったところでどうなるわけでもない他人の恋愛事情に首を突っ込むのは悪趣味に思えて仕方がなかった。

     ***
     

それからほんの数日、柚香は担当の販促用ポスターについて尾身さんと二人で残業をすることになった。
あらかた案がまとまったところで、休憩しようか、と尾身さんがコーヒーをいれてきてくれた。
社内で尾身さんを「怖い」と言って苦手にしている人のあらかたは、自分のサボり癖だったり仕事の質の低さだったりという見透かされたくない弱みを多く持っている人で、尾身さん本人はとても気のつく優しい人なのだと柚香は前々から思っていた。
今日だって、自分の方が何倍も忙しかったはずなのに、こうして柚香のことを気遣ってお茶までいれてきてくれている。
そんな尊敬できる先輩を前に、物笑いのタネを探すような行いをしようとしている自分が急に恥ずかしく思えてきた。

「あの、尾身さん。ちょっといいですか? 仕事の話じゃないんですけど…」
「何? いいよ」
「私もつい最近に聞いたばかりなんですが、尾身さんが噂になっていることがあって」
「噂…ねえ。どんな?」

やれやれ、といった感じで尾身さんが小さなため息をついた。柚香としては、探りを入れたいというよりも、そういう中傷じみたことをされているということを暗に教えてあげたいという気持ちが先にあった。

「総務の亀石鈴さんと、尾身さんが、その、付き合ってるって」

一瞬ピクッ、と尾身さんの身体が反応したのがわかった。気のせいかもしれないが、ほんの少しだけ自信に満ちている尾身さんの瞳に、不安そうな影が落ちたようにも思えた。

「噂の質としてはよくないね。まあ、しょうがないのかもしれないけど。で? あなたは? 狩野さん。どう思うの?」
「いえ! 私はどうとも。だけど、もし誹謗中傷で根も葉もないことを言いふらされてるとしたら、そこには腹が立ちます」
「根も葉も…か」

何か考えるように尾身さんは窓際に歩み寄ると、はめ込みガラスの向こうの夜景を見下ろした。
パーテーションで区切られた、二人のいるオフィスの一角以外には既に人影はなく、会話が途切れると空調の音ばかりがとても大きく耳に響いた。
どのくらい待ったか、しばらく身じろぎもしなかった尾身さんがくるりと身体を翻して柚香に向き合った。

「その噂、中傷じゃないの。本当の話」
「えっ!!」
「別に隠していたわけでもないんだけど、やっぱり堂々ともできなくて。しかしみんな見てないようで見てるのね。驚いた」

あっさりと認めた尾身さんの目がまっすぐに自分を刺してきて、柚香はかっと顔を赤くした。ドキドキと心臓の音が早くなってきたのがわかった。

「ごめんね。引いちゃった?」
「そんな。全然、そんなことないです。むしろ、そんなきちんと認めることができるなんて。すごいと思います。かっこいいです」
「私はもうどうってことないんだけど、ただ噂が広まりすぎると彼女の方がかわいそうで。彼女の実家、地方の名門らしいの。本人は『家は関係ない』って言うんだけど、噂のせいでしなくてもいい親子喧嘩をすることになるのもよくない話でしょ。いずれ挨拶に行くことになるにせよ、もう少し時間が必要なのかなって」

柚香の反応に少し気持ちが緩んだのか、尾身さんは恋人として付き合っている彼女のことを話し出した。話が進むほど、相手のことを本当に想っていて、関係について真剣に悩んでいるんだということが端々にじみ出てくるようだった。
柚香はぎゅっと膝の上で手のひらを握り締めた。

「…っと。ちょっと私、喋りすぎね。でも、こういう話って誰にでもできるものじゃないし、誰かに聞いてもらいたかったの。ありがとう。狩野さん」
「とんでもない! 私なんかでよければ、いつでも」
「嬉しい。今度きちんとお礼しなきゃね。『口止め』も」
「あははははは」

仲良く笑って話は終わりになった。カップを片付けてポスターの最後の仕上げにかかろうと、柚香の見るパソコンを真後ろから尾身さんが覗き込んだ。
ついさっきまではその近い身体の距離をそれほど意識することもなかったのに、急に今、ほんの少し体制をずらせば触れられるほどの場所にいる尾身さんの存在が、ひどく生々しいものに感じられてきた。

「あの、尾身さん」
「何?」
「私の『口止め』なんですけど」

心臓がバクバクと鳴って、語尾が震えるのを隠すのも精一杯なくらいだった。だけども一度思いついてしまった衝動は、簡単には止めることができそうになかった。

「キス、してもらってもいいですか?」
「えっ? ちょっとごめん。何?」
「キスだけでいいんです。尾身さん。私に、してもらえませんか?」

振り返ると、とても困った顔をした尾身さんがいた。全く予想外の展開だったのだろう。普段は全くそんなところを見せない、弱弱しく戸惑った表情だった。

「だめよ。私は彼女のことが好きだし。狩野さんのことは決して嫌いではないけど、鈴のことは裏切れない」
「裏切るとかじゃないです。一度だけ。それにそのくらいの保険をかけておかないと、私が誰かに言わないとも限らないでしょう?」

卑怯なやり方だと自分でも思った。
だけどもそう言えば相手はきっと自分の要求を飲むだろうことは察していた。

噂を耳にする前から、なんとなくわかっていた。
尾身さんが、自分に対して淡い好意を持っていただろうこと。
自分もまた、認めなかっただけで尾身さんに憧れ以上の気持ちを持っていたことも。

「一度だけよ」
「はい。一度だけ」
「目を、閉じて」

囁くような声でリードをされ、繊細な指先に顎を持ち上げられて間もなく、柔らかな唇が重ねられたのを感じた。しっとりと、滑らかに触れて離れるだけの短いキスだった。

唇が離れてゆっくりと目を開くと、間近に尾身さんの少し赤くなった顔があった。
もう一度触れたい衝動に、柚香が身体を傾けかけると、我に返ったように尾身さんが身体をわずかに後ろに引いた。

「これ以上は、だめ。狩野さん、あなたの興味が『私』にあるのか『女性の身体』にあるのかわからないけれども、どちらにしても私はもうあなたには触れられない」
「…わかってます。約束ですから」
「うん」

それからほぼ全く余計なことは口にせず、仕事を最後まで終わらせて二人は会社を後にした。
何を話していいのかわからず、ぽつりぽつりと内容のない会話をしているうちに、それぞれの乗り込む路線の駅に到着した。

一礼をして立ち去る柚香に、さようなら、と尾身さんが背後から声をかけた。
電車に乗り、家に着くまでの間、先ほどの柔らかな唇の感触を細かく思い出した。

家に着き、一人の部屋に後ろ手で鍵をかけたと同時に、涙があふれてきた。
あふれ始めると止めどなくて、痛いほどの胸の奥から感情の波が押し寄せてきて、立っていられないほどだった。

【Fin.】

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