なないろのゆり - SS:半熟の卵

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SS:半熟の卵

好きだと言われて付き合ったのは、ただ単純に彩音のことがかわいかったから。それ以上のものを最初から求めていたわけじゃない。

キッチンで鼻歌まじりに手際良く料理を作っている彩音が、リビングでくつろぐ紅亜に大きな声をかけた。

「紅亜って、ゆで卵やわらかい方が好きだったよね」
「うん。真ん中らへんにちょっとだけ半熟な部分が残ってたりすると最高」
「わかったー」

今日は家族全員が親戚の用事で出払っていて家には誰もいなくなるということで、誘われるままに紅亜が彩音の家に泊まりにきた初めての夜だ。
普段からお弁当など自分で作っているという彩音は言うだけのことはあって確かに料理の腕はかなりあるようで、さっきから鼻先を誘惑するいい匂いをリビング一帯に漂わせている。
反対に家事の苦手な紅亜は、手伝うとむしろつまみ食いばかりして食事までに料理をなくならせてしまうということで、あっちでくつろいでいてとキッチンを追いやられてしまったくらいである。

テレビの前のソファーからは斜めの角度になる、彩音のことをぼんやり見つめながらふと、紅亜の頭に「なんか私たち恋人同士みたいだね」という言葉が浮かびかけた。
だけどもよくよく考えてみれば、紅亜は彩音から「付き合って」と言われてOKをしているのだから、一応立派に恋人同士ということになる。

待てよそれって…。

今自分は恋人の家に泊まりに来てるってこと???

紅亜は今更ながら、現在進行中のこのシチュエーションの意味にやっと気がついた。
彩音と付き合うと返事をしてもう1ヶ月は過ぎただろうか。
はっきり返事をする前からも二人は他の友達とは少し違う「特別」に気の合う友達で、告白云々があってもそれ以前までと付き合い方が何がどう決定的に変わったということはなかった。はずだった。
少なくとも、紅亜の中では。

時間を合わせて一緒に帰ったり、二人で買い物やイベントに出かけたり、毎日メールを送りあったり。
ほぼ毎日顔を合わせて会話はしていたけれど、話の内容や態度にだってそれまでと変化なんてまるでなかった。

そんな紅亜だったから今日これから過ごすであろう一夜について何がどうとかいう想像をしているはずもなく、きっといつものように他愛ない会話をしているうちに朝になるものとばかり考えていた。

まさかと思うけど、彩音は違うふうに考えているのかな……。

楽しげな表情で薬味を刻む彩音は、そういう目で見れば確かに若干テンションが高いようにも見えて、急に紅亜は何とも表現しがたい灰色な気持ちが湧き上がってくるのを感じてしまう。

彩音とキスとかして、裸になって、抱き合うとか。

悶々と考えようとするとプツンと切れたようにその先に想像が進まなくなる。
自分の心のどこかでは、具体的な想像を避けようとしているような感覚さえある。

「紅亜、ちょっとこっち来て」
「えっ!?な、何」
「何って、ほらこれ」

差し出された小皿に薄い色の汁物が敷かれている。
味見、と言われて少し口に含んでみると、膨らむような豊かな味がいっぱいに広がった。

「おいしい!」
「そう?ありがと。今日のは特に自信作かも」

同じ小皿にまた汁をとると、彩音は紅亜がそうしたように口をつけた。
ごく、と喉がなる音が大きめに聞こえて、紅亜は意味もなく顔が赤くなるのを感じる。

「もう少しだけど。待てる?」
「う、うん。大丈夫」
「じゃ、悪いけどテーブルの準備お願いしてもいい?」

渡されたマットと食器を並べながら、紅亜はどうして自分は今こんなに緊張しているんだろうかと不思議に思った。

     *****
     
紅亜が先を譲ってもらってお風呂を使わせてもらうと、間を空けずに入れ替わりで彩音がバスルームに消えていった。
ぽつんと一人残されて紅亜がテレビのスイッチを入れると、毎週見ていたはずのドラマが始まっていた。
それなり楽しみにしていたはずなのに、今日に限ってはその存在を忘れていて、しかも見始めた今も内容がほとんど頭に入ってこない。

ぼんやりと、これから自分はどうなって何をすることになるんだろうと考えた。

女同士どころか自分には誰ともキスやセックスの経験はないのだし、普段の会話から推測するに彩音もそれほど達者とは思えない。
リードするとかしないとか、どっちが上とかしただとか、そういうことって自然と決まるものなのかそれとも話し合って決めるものなのかと考えてみる。

いつもの感じだと性格的に紅亜の方が何か提案をして、彩音はそれに同意して従ってくるというパターンが多い。料理のような家事一般も彩音はかなり得意な方だけれども、紅亜は苦手で細かいことはわりとどうでもいいと思ってしまうようなタイプだ。
そうしてみると、やっぱり紅亜は自分の方があれこれ彩音にしてあげなければいけないのかなと思ったりもする。

でもな、あれで彩音は意外としっかりしたところがあるし。

紅亜はテレビを消すと、彩音の部屋に移動してベッドに横になってみた。
つい先日、目の前で突然交通事故が起きたことがあった。事故の加害者も被害者も全く面識のない他人ではあったが、ほんのすぐ目の前で起きたこともあって、紅亜は驚いてただどうしようかと慌てるだけだった。
そんなとき彩音は的確に被害者の怪我の様子を確かめると、激しく動揺している加害者の人に了解をとって自分で事故の通報をしたのだった。
警察が到着するまでその場に立ち会うと、状況の説明などにも落ち着いて協力をして、紅亜は内心「すごいなあ」と彩音のことを見直したのだった。

よくわからないけれども、一見さばけた感じの自分よりも、内面では彩音の方がきちんと舵取りをしていける性格なのかもしれない、と紅亜は思う。

もしそうだとしたら、自分はただ黙って彩音にされるままになっていればいいのだろうかと考えたりもする。その場合、とりすましてじっとしていさえすれば、彩音が適当にやってくれることなんだろうかと思う。
だけどもしおらしくごろんとしたままの自分というのも紅亜には想像がしにくくて、うつぶせに寝転び直すとベッドの上の枕を両腕で抱え込んだ。
枕からはふんわりと、いつもの彩音の髪の香りがした。

ていうかそもそも、そういうセックスとか彩音としなきゃいけないんだろうかと思う。
今自分は勝手に悩んでいるものの、最初から彩音には全くそういう気がなくて、「付き合う」というのもそんな生々しい体の接触を含まないものを考えていたのかもしれない。
だとしたら自分から誘いをかけるのはむしろ彩音を引かせてしまうことにもなりかねないわけで、それでせっかくの仲の良い関係を壊してしまうのはなんだかばからしいことにも思えてくる。

セックスって何なんだろう、と紅亜は思った。

しなきゃいけなくはないのだろうけれども、しなきゃいけないことにも思える。
彩音は、どう思ってるんだろう。
紅亜はじっと枕に顔をうずめたまま考えた。

「紅亜?寝ちゃったの?」

不意に近い背後から声をかけられて、紅亜はぎくりとしつつもうつぶせの姿勢のまま動かなかった。
勝手にベッドに寝ていてしまったこともあるが、考えていた内容が自分として後ろ暗かったせいもある。
少しそのまま寝た振りをして、彩音の反応を探ってみてもいいような気がした。

反応がない紅亜に無理に声をかけるでもなく、彩音は自分の部屋に入ると、ベッドの脇に腰を下ろした。
覗き込むようにして寝たふりをしている紅亜の顔を見ると、遠慮がちな手つきで紅亜の髪に指先を触れさせた。梳くように数度洗ったばかりの紅亜の髪を撫でて、それからややためらいながらもそっと紅亜の肩に手を乗せた。

指先が円を描くように肩のラインをなぞると、思わず紅亜はビクっと身体を反応させてしまった。

ほんの少し身を引くようにして、紅亜は枕を抱きかかえたまま身体を壁際に後退させた。
彩音はそれを見て、不安と後悔が混じったような弱気な表情を浮かべる。

「ごめん。嫌だった?」

紅亜は反射的に大きく首を横に振った。嘘じゃなく、触れられたことは全く嫌ではなかった。
ただ、いつもより急に大人びた彩音の雰囲気にやや逃げ腰になってしまっただけだった。

胸元の枕で隠しているものの、心臓の音が尋常じゃなく早く打っているのがわかる。これは興奮しているということなのか。この興奮はあれをするための興奮と同じ種類のものなのか、経験の浅い紅亜には判断がつかない。

「ねえ、もうちょっと近くに行ってもいい?」
「…うん」

広くないベッドの上で数十センチも動くと、もう紅亜は彩音と触れ合うほどの距離になった。
伸ばされた腕に身を任せると、枕ごと紅亜は彩音に抱きこまれた。
心地よく髪を撫でられながら体重を預けるように傾けると、背の低い彩音が下から支えるような格好になった。

「紅亜、私のことどう思ってる?」
「どうって。えっと…好きかってことだよね?」
「うん」
「好き、だと思う」

髪を撫でていた手が止まって、紅亜は促されて顔を彩音と付き合わせる。
じっと目の前で顔を見つめられると、恥ずかしくてまた顔が赤くなってきた。

「キスするよ?」
「うん」

また腰が引けそうになるのをぐっとこらえて強く目を閉じると、食いしばった歯で固くなった口元に柔らかいものが触れた。
不思議な感触に自分から口元の緊張を解かせていくと、ちゅ、と湿った音とともに唇が絡まりあうのがわかった。

数十秒くらいして顔が離れると、紅亜は彩音に唇を指で拭われた。

「どんな気分?」
「何だろ。わかんないけど、不思議」
「私も。どうしたらいいかな」

彩音に「紅亜はこういうことしたくないって思ってるのかなとか、するとしてもどういうふうにしたいのかわからないなって、ずっと悩んでたの」と言われて紅亜はきょとんと目を丸くした。
何だ、彩音も同じだったんだ、と思って安心する。

「ね、もう一度キスしてみてもいい?」
「ううん。いいよ」

あらためて、紅亜は自分から彩音に唇を重ねにいく。慣れない仕草に目を閉じるタイミングを間違えて一度鼻先にあたってしまったが、少し笑い合ってすぐ二度目のキスをしなおした。

「ちょっといいかも」
「いいね。うん」
「もうちょっと、してみてもいい?」
「うん。でもあとで交替させてね…」

悩む必要はあまりなかった。
好きなようにしても、紅亜は彩音はきちんと受け止めてくれるような気がした。
しなくてもいいことなのかもしれないけれども、してみてやっぱり良かったと思えることのようにも思える。
相手が彩音だからこそ、そう後から思えるようなことにできそうな、そんな気が紅亜はしていた。

【Fin.】

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