Catch a cold

※大人設定です。満薫のSSです。

穏やかな天気の朝、リビングにいた満はドサっと何かが落ちるような聞いた。
寝室には薫がまだ眠っていたはずで、また何かおかしなことでも起きたのかとのんびりと部屋の扉を開いてみるとベッドの脇にきょとんとした表情で膝をつく薫の姿があった。

「どうしたの?薫」
「それが、私にもよくわからないのだけど」

位置的に、ベッドから降りようとして膝から崩れたのだろうことはすぐにわかった。
どれどれ、と近づいた満が額にそっと手を触れてみると案の定普段よりもずっと高い体温をしていた。

「風邪?薫、もしかして具合が悪いの?」
「気分はそれほどでも。ただ、体の自由がきかなくて」

軽くついた薫の吐息が微かに手の甲に触れて、ああこれは自分が前にかかったことのある症状だなと満は思った。
無理やり立ち上がろうとする薫の脇に腕を差し込むと、満はもう一度薫がベッドに横になるのを手伝った。

「少なくとも今日は仕事は無理ね。一日ゆっくり休みなさい」
「え?だけど」
「それとも、何か急ぎで抱えていたことでもあったの?」

薫は反論もせずに起こしかけた上半身をもう一度沈ませた。
もともと細かい仕事をしていたわけでもない薫なのだし、一日二日横になっていたとしてもどうということはないだろう。
満がもう一度薫の額に手を載せて状態を確かめてみると、なんとなくこれ以上ひどくなるわけでもなさそうだなということはわかった。
何が効果があるかはわからないが、とりあえず看病らしきものでもしてみようかと満がベッドから立ち上がろうとすると、後ろから袖口を軽く引かれる感触があった。

「あの、満」
「何?薫」
「お願いが、あるんだけど」

とてもいいにくそうにしながら薫が小さな声でそう言った。
満は何を言い出すものかと少し待ってみたけれども、開きかけた薫の口元が何度も閉じるのを見て、ふうと一つ息をついてから「少し待ってて」と部屋を出た。
リビングから戻ってきた満の手には薫の携帯電話が握られていた。

「はい。自分で何かしたいことがあるんでしょ?」
「うん…でも、」

満の手から受け取ったものの、薫は画面をなかなか開こうとはしなかった。

「私がいない方がいいなら出ていくけど」
「そうじゃないの!あの、満。聞いてもいい?」
「ええ」

薫は携帯電話を手のひらで転がすようにしながら、満から目を伏せるように体を横向きにした。

「みのりちゃんに、連絡をするべきなのかどうかと思って」
「今日、会う約束でもあったの?」
「いいえ。今日は家の手伝いをするからって聞いているわ」
「連絡しない方がいい理由があるの?」

薫はもじもじと指先を回転させて少し口ごもる。

「だって、体調を崩したことを伝えたら余計な気を使わせてしまうことにならないかしら。伝染る病気の可能性もあるわけだし」
「じゃあ、連絡しないで治ってから会えば?」

いつものこととはいえ、満は薫のことを相変わらず妙なところで悩むと思った。

「すぐに治ればいいけど、もししばらくこのままだったら?連絡しなかったことで気を悪くしないかしら」
「さあね。どっちかしら」

満は軽く肩をすくめた。
熱がいつ引くかは確かに予想はできないし、何が治療に役に立つかもまだよくわからない。
相談はされたものの、こればかりは満としてもどういうアドバイスがいいのか判断に困ってしまう。
満は握ったままの薫の携帯をとると、枕元にあるサイドテーブルに置いた。

「別に、もう少しゆっくり考えてみてもいいんじゃない?」
「ん…」
「少し眠ったら、また何か気が変わるかもしれないわよ」

毛布をかけ直して、満は部屋の出口に向かった。
どこへ行くの?と弱い声が聞こえて、扉の向こう側に体を抜けさせてから満は斜めに振り返った。

「少し出かけてくるわ。薫はゆっくり休んでいて」

     *****

満がPANPAKAパンの扉を開くと、元気な声で母親の沙織の声が聞こえた。
すぐに満ということに気がつくと、軽く挨拶を交わす。

「今日は薫さんは一緒じゃないの?」
「はい。薫は少し用事があるので。みのりさんはいますか?」
「いるわよ。今厨房の方を手伝ってるの、呼びましょうか」

満の返事を待つ間もなく、大きな声で沙織はみのりの名前を呼んだ。
すぐに奥から笑顔のみのりが出てきた。

「満お姉さん?どうかしたの?」
「うん。ちょっとね、少し話せる?」
「えーと」

みのりが振り返ると、沙織はお客さんの様子を見てすぐにOKを出した。
満は一礼をすると、みのりを連れて中庭の方に移動していった。

     *****

薫が浅い夢から覚めると、ちょうど玄関の扉が閉じた音が聞こえたところだった。
眠る前に比べて体がだるくなっているようで、自分で額に触れても体温が上がってきているのがわかる。
少しぼやけて見える視界の隅に、結局かけられなかった携帯電話が映った。

部屋の扉を開く音が聞こえて、気だるく返事をしようと体を起こした。

「平気?気分はどう?」

二、三回瞬きをして目を凝らすと誰かが自分の側に近づいてくるのがわかった。
薫が半分寝ぼけたまま体を起こそうとすると、「まだ寝てて」と優しい声が聞こえた。

「これ、効くかどうかわからないけど。薬」

何かを手元に置かれたのがわかって、薫はその手を追いかけるようにして握った。
軽くその手を握り返されたのを感じて、少し口元がゆるむ。

「満。おかえり」

満はぎゅっと手を握られたまま、薫の隣に腰をかけた。

「気分は、相変わらず悪そうね」
「だるいけど、そんなに悪い気分というわけでもないわ。少し、夢も見たし」
「夢?どんな」

薫は熱っぽいため息をつくと、カーテンのすき間から差し込む夕方の光に目を細めた。

「忘れたけど。優しい夢だった気がする」
「じゃ、正夢かもね」

満は薫の手元に置いた袋を改めて取り出した。

「早く治してね」

満は指をほどくようにして腰を上げると、隣の部屋に向かって歩き出した。
ドアが閉じたあとで薫が袋の中身を開いてみると、少し不恰好な形のパンがひとつ入っていた。

一口かじってみると、まだのこる温もりが口の中に広がっていくのが感じられた。

【Fin.】

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