第三章 運命の日まであと5日
同じことを繰り返してはいけないのが今の状況としても、もしもう一度同じ時間を繰り返すことができるのであれば一回目よりもうまくやりたいと考えるのは自然なことなんじゃないかと思う。
そう、今のあたしみたいに。
琥珀にとっては(おそらく)初めてで、あたしにとっては二度目になるキスなのに、思うようにかっこよくまとめることができなかった。
正直一回目の時はどうだったかあまり詳しく覚えてない。琥珀の方から顔を寄せて、そのままなすがままに任せていた感じだった。ある程度予想はできていたけれども実際に経験してみたらめちゃくちゃ恥ずかしくて、それで自分の表情を隠すつもりで琥珀のことを強く抱きしめたんだった。
その時に耳元で「凛、痛いです」と言われたことが自分的に結構黒歴史で、内心このバツの悪さを翌日の朝まで引きずってウダウダしてた。。
だからもし二度目があったらもうちょっとはましに琥珀をエスコートできるんじゃないかと思ってたのに、実際に奇跡的に二度目が訪れたにも関わらず結局はほとんど一回目と同じような結果になってしまった。
朝起きたのは前日とほぼ同じかなり早い時間だったけど、そのことがあってなかなかすぐに起きることができずに一週間前と同じように布団の中で丸くなっていた。
それに恥ずかしすぎたキスのことだけでなくもう一つ後悔しているのが、悪いとわかっていながら琥珀との親密さを深めるような行動をしてしまったことだ。
冷静になって一晩を過ごしてみると、やはりこのまま琥珀と親しくしていくのはよろしくない。
どういう理屈でなんの意図があってあたしが人生のうちの一週間のやり直しをさせられているのかはわからないけれども、そのチャンスを琥珀にカッコつけるためだけに使うというのはいかにも愚かしいことだ。
ということで、これからの残りの5日間をどのように過ごしていくのがベストかということをあたしはもう一度しっかり作戦にして立てていくことにした。
最終的な目的が「一週間後に琥珀がクソ親父を殺さないようにすること」ということにするなら、それを避ける方法は一つだけではない。
あたしは「琥珀と親しくなったらよくない」という漠然とした目標だけを考えていたので、実際に琥珀と対面したときに自分の気持ちをうまく制御することができなかった。
それはあたし自身が「琥珀を巻き込みたくない」という気持ちと同時に「琥珀と親密になりたい」という気持ちも同時に持ってしまっているから。考えてみればクソ親父のためにあたしが琥珀との仲を遠慮するというのはどうも気分がよくない。
一番よいのは今から5日後に訪れるだろう【運命の日】よりも先にクソ親父が自主的におっ死んでくれることなんだが、それはあまり期待ができそうもない。
もともとクソ親父はこの家に帰ってきたり来なかったりすることが多かったが今朝も帰ってきた形跡がない。おそらくは珍しくパチスロかそのあたりのギャンブルで大当たりでも出して後先考えずに豪遊でもしているのではないかと思う。
都合よく事故にでもあってくれればよいと思うけど、この一週間がやりなおしという時間であるならば少なくとも【運命の日】以前に不幸(うちらにとっての幸運)に遭うという可能性はほぼゼロと言える。
クソ親父の行動をこちらでどうこうすることができないのであれば、もう一つできそうなことは「意図的に起こることの時間をずらす」ということがある。
思ったのだが、問題はちょうど一週間後のその時間にクソ親父、あたし、琥珀の三人がブッキングしてしまうことになる。だから琥珀と親しくならないようにするのではなく、起こる事件を別の時間に移動させることができれば未来は変わるかもしれない。
そこまで考えをまとめたあたしは意を決して布団の中から飛び起きた。
*****
一週間前のあたしは、ファーストキスの恥ずかしさに戸惑いながらも朝いつもの時間に登校をしてそこで琥珀と出会った。
そこでお互いに照れた態度をしながらももう一度二人で会いたいという気持ちを伝えあって、その日の放課後にちょっとしたデートの約束をしたんだった。本当であれば今日は放課後からコンビニのバイトのシフトの予定になっていたが、デートを優先させて急遽シフトを交代してもらった記憶がある。
だとしたらそのデートを放課後ではない別の時間に行うようにすれば、一週間の間に起こる出来事のスケジュールは大きく狂うことになるはずだ。
最初、そのことを実行するために朝の登校時に琥珀に会わないように時間をずらそうと思っていたのだが、なんだかんだ朝の家事仕事をしているうちにいつもの時間になってしまった。
「おはようございます、凛。……その、いい天気ですね」
予定通りの時間と場所で琥珀があたしに話しかけてきた。よく顔を見ると少し目が赤い。おそらくあたしと同じように昨夜ベッドに入ってから何度も昨日のできごとを反芻してきたんだろうと思う。
「あ、ああ。そうだな」
「ちょっと時間が遅めですから、早歩きしながら行きましょうか」
一緒に並んで通学路を歩いていると、途中で琥珀の友達らしい上級生が話しかけてきた。後ろから笑顔で挨拶をするのだが、ふと隣に並んでいるのがやたらデカくてかわいくない後輩であるあたしであることに気がつくと「あとでね」といった言葉を残してそそくさと逃げ出すように去っていく。
これがあるからあまり学校内で琥珀と二人でいるのを好まなかったのだが、今朝のひとり作戦会議を前提にして考えるとむしろそれは好都合なことのようにも思えてきた。
「あの、凛。今日なんですが…」
「悪いな、用事を思い出した。先に行っていいか」
「え?あ、はい。足止めをしてしまってすみません」
今日の放課後のデートの約束を切り出そうとしている気配を察して、あたしはつい焦って余計な一言を付け足してしまう。
「あんたの横って、居心地がよくないんだな」
琥珀がそれに対して何かを言おうとしたようだったが、それ以上会話を続けたら絶対に今日の予定の話題になってしまうのであたしは逃げるようにその場を立ち去った。
校門を駆け抜けて二年生の教室棟にまで移動したところで、よし、これで運命のスケジュールまでの時間軸は崩れた、と思った。
うまくいったという気持ちがあったせいか、自分のクラスの前の同級生に声をかけられたときにいつもよりも明るく笑顔で挨拶をしてしまった。
そのタイミングでふと、廊下の窓から校門から校舎まで続く通路を見下ろしたところ、ちょうど琥珀がこちらを見上げていた。
*****
放課後になり、あたしはいつものコンビニにアルバイトに行った。
朝に琥珀との会話をしなかっただけで昼間のうちにスマホなんかで連絡をされるかもしれないと思っていたのだが、結果的に朝にかけた言葉がキツめのものだったせいかそういうこともなかった。
手段としてはあまりにもスマートなものではなかったにしろ、とりあえずは狙っていた結果を出すことはできたわけだし、今日のバイトが終わったらあたしの方から謝罪の連絡でもしようかなと考えていた。
その目論見がうまくいったことを示すかのように、バイトのシフト中に一週間前にはなかったはずの雨が降ってきた。
一回目の時は琥珀と近くの河川敷周辺を一緒に歩いたりしていたが、その時はきれいな夕焼けが見えていたほどすっきりと晴れ渡っていた記憶がある。
それに対して今は店長が慌てて入り口周辺にビニール傘の陳列を増やすように出すくらいに天気は崩れ、かなりの量の雨が降っている。
これまでのやりなおしの3日では、他の出来事に小さな変化こそあれ天候や自然現象は覚えている限りぴったりそのまま繰り返しをされていたので、それが明らかに異なっているのはやはり何か大きな流れが変化をしているのではないかと感じる。
その成果に少し機嫌をよくして時計を見上げるともうシフト終了まで15分を切っている。あとは今並んでいるお客さんのレジ打ち作業を終えたら今日の仕事は終わりだな、と思ってニコニコと愛想よく接客をしてたところ。
眼の前に急に降ってわいたかのように大きなペットボトルがレジ台に現れた。
「これ、お願いします!」
漫画であればドシン!と迫力のあるフォントが飛び出して来ようかというほどの勢いで置かれたそれは二リットルのミネラルウォーターで、あたしが恐る恐る視線を上にずらすとそこにはうつむいて前髪で瞳の隠れた琥珀がいた。
「あ、えっと。その、112円です……」
「現金で」
「このままでいいですか?」
あたしが商品と同じように気合いの入った置かれ方をした小銭をレジに入れているうちに、琥珀は受け取ったミネラルウォーターをカバンの中に差し込んだ。
「このままでいいわけないです!」
「あ、はあ」
「凛。待ってますから」
そう言うとあたしの返事も聞かずに琥珀は店の外に出ていった。
呼び止めようとしたのだが、あたしは迫力に負けてそのまま立ち尽くして背中を見送ってしまう。
手の中にはさっきの会計のおつりの8円が残されていた。
思ったよりも早く、あたしは自分のしたことの精算をさせられることになりそうだった。
*****
スタッフ用の裏口から通りに出た建物の影に琥珀はいた。店内で待っていた場合、あたしがこっそりと裏口から通りに抜ける可能性もあったわけで、複数ある出口のどこから出ても絶対に目につくところにポジションどりをしていたことを察する。ようするに「絶対に逃さない」という意思表示だ。
腹を決めてしばらく二人並んで傘を差しながら帰りの道を歩く。
琥珀はマフラーの隙間から白い息を時折漏らしながら、雨粒に肩口が濡れるのも構わずに黙って歩いている。
あたしはスタッフルームから持ってきたビニール傘を傾けてそっと琥珀の様子を伺う。
「濡れてるけど、寒くないか」
「随分親切なんですね」
刺々しい響きを帯びた返答をされた。あたしはどう対応すべきか悩みながら黙り込む。
しばらく歩いたところで急に、琥珀があたしの方を見ないで言葉を漏らした。
「私のこと、からかってたんですか?」
先程までの強気な態度からの緩急に、あたしはまたぐっと胸を突かれたような感じに見舞われる。
「それは、違う」
「じゃあ、後悔してるとかですか?」
「してない」
短い帰り道はそこで途切れてしまった。
いつもであればここでお互いの家路のそれぞれの方向に分かれるところではあったが、ここで「じゃ、また」と会話を強制終了させることなんてできない。
とはいえ行くあてもないので眼の前の渡る必要のない信号を渡って大通りから住宅街に向かう。少し細い路地を歩いているとマンションと高架線の隙間に取ってつけたかのような小さな公園があったので、その中で雨宿りができそうなベンチに座ることにした。
公園入口の小さな街頭がチラチラと瞬いて、やや降りの弱くなった雨が斜めに光って見える。
「昨日の夜から今日の朝まで、私、すごく幸せでした」
「うん」
「どんな顔をして次の日凛に会おうかとか、会ってどんな話をしようかとか、すごくすごく考えてたんです」
「……うん」
ポツポツと、うつむいたまま琥珀が言葉を紡ぐ。
近くの歩道を自動車が通り過ぎて、すれ違いざまに光ったライトにしみた目を悟られないようにあたしはゆっくりと一つ瞬きをした。
「私、凛のことが好きです」
トクンと、心臓の音が鳴った気がした。
こんな展開は一週間前にはなかった。
こう言うと不謹慎なようだが、暗い雨の中で思い詰めたように告白をする琥珀の姿は今まで見たどんなものよりも強烈な色気を放って見えた。
「ごめん、琥珀」
「どうして謝るんですか?」
「ごめん。あたし、バカなんだ」
あたしは今日もサマにならないしダサいな、と思った。必死に言葉を選んで出した声は震えていた。
寒さのせいか光の眩しさににじんだ涙のせいか鼻をすすりたくなり、うつむいていた顔を上に向けると隣の琥珀がじっとこちらを見ているのがわかった。
「あたし、琥珀が好きだ」
自然に出てきた言葉にあたしは自分でびっくりした。
今まで怒った時こそ直情的に感情を口にしたことはあったが、こんなふうに自分の感情をそのまま素直に言葉にしたことはなかった。ストンと、なんの引っ掛かりもなく自然に落ちてきた正直な言葉だった。
「本当ですか?」
「ああ」
「本当に?」
「ああ、そうだ」
雨に囲まれた高架の下のベンチで、琥珀は一瞬あたしにぴったりと体をくっつけてから少しだけ離した。あたしは情けなくその離脱にすがるように体を寄せる。
「キスしてください」
「へ?」
暗闇の中で、いつもの少し強気な口調で琥珀はあたしにささやく。
「昨日は私からだったんですから、今日は凛からです」
身長差でじっと見上げるような姿勢の琥珀が、返事に困って固まっているあたしの二の腕あたりの服をキュッと掴んだのが伝わった。
ためらう理由が見つからずに、あたしは体を少しかがませて頬を寄せる。
「……凛、ほっぺたが冷たいです」
「あんたもね」
一週間前のあたしもこの日琥珀と二度目のキスをしていた。晴れた夕焼けの中、周囲の人の気配を伺いながらその隙を縫うかのようにこっそりと。
そのときのワクワクした気持ちは今はない。だけども今はすごく素直に、閉じ込められた雨の中、琥珀のことだけを素直に感じられるようなキスをしている。
【運命】は、やっぱり少し動いているのかもしれないとあたしは思った。
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