第四章 運命の日まであと4日
昨日の大雨はどこへやら、今朝は起きたときからすっきり遠くまで澄み渡った青空が広がっていた。
やり直す前のこの日はどうだったかを思い出そうとしてみたが、はっきりどうだったかの記憶がない。晴れていたのは覚えているけれどもここまで爽やかな天気であったかどうかわからないからだ。
昨夕に琥珀と仲直り(琥珀の誤解とあたしの下手くそな対応のせいではあるけど)をして、一つ腹をくくったことがある。もうこのやり直しの一週間で琥珀との仲が進展する出来事が起こったとしても、それを自分から妨げるようなことはしないということだ。
より正確に言うならば、もしやり直し前の記憶よりもさらに進展があるようならそれはそれで否定しないようにしつつ、万が一不必要な誤解なんかで喧嘩が起こりそうな場合はそれは積極的に直す努力をしていくという方針に転換した。
4日後に起こるであろう【運命の日】の最悪の結果を避けることを諦めたのではなく、それを避けようとするあまり琥珀とあたしの関係が崩れてしまっては全く意味がないと結論づけたからだ。
それに楽観的な推測をすれば、運命を意識して変えたからといって悪い結果を呼び込むわけではなさそうだ。昨晩の琥珀との会話からして、逆に関係性に積極的になることで良い結果を導き出すことだってできるかもしれない。
「凛。どうしましたか?先程から黙って空を見ていますが」
紙パックの野菜ジュースのストローから最後の一口をズズ、と飲み込むと斜向いに座っていた琥珀が話しかけてきた。
食堂の隅の大きな窓に面した席であたしたちはちょうど食事を終えたところだ。
昨日、家に帰ってから寝る前までに短いメッセージの交換をしていたら、琥珀の方から「明日一緒にお昼を食べませんか?」という誘いをもらったのだ。
短い昼休みはそれほどのんびりできるわけではないが、それでも学年の違う琥珀とこうして一緒にいられる時間と場所は貴重だ。
「ああ。よく晴れてるな、と思って」
「そうですね。天気予報ではこの週末もずっとこんな快晴が続くと言っていました」
そうなのである。
今日は金曜日で、明日は土曜日。
今日の授業が終わったら二日間の休みになる。
やり直し前のこの週末は、確か単発バイトで倉庫業務をみっちりやって金を稼いだ記憶がある。
「琥珀はさ、この土日どっかに出かける予定があるの?」
「いえ。土曜日の午前中は塾で模擬試験がありますが、そのあとは特には」
あたしができるだけ平静を装いつつ質問をしたとき、ちょうど後ろを通り過ぎた三年生らしい生徒が一緒に座っているあたしたちをチラリと見て何かヒソヒソと話をして立ち去っていった。
そりゃまあ部室とか以外で別学年の生徒がつるんでるのってわりと珍しい光景だし、その上学内でも評判の美人お嬢様の一条琥珀がわけのわからない不良学生と明るい食堂の席で並んで座ってるなんて、一言感想でも漏らしたくもなるんだろう。
あたしの質問に回答しながらもそんな周囲の気配に気づいた様子で、琥珀はちょっと肩をすくめた。まるで”気にしないでくださいね”とでも言いたそうに。
「なんかさ、ちょっと遠くに行きたいな」
「遠く、ですか……例えばどんなところですか?」
特に深く考えて言った言葉ではない。周囲から余計な視線を受ける今の状態を少しうっとおしく思って、それでそんな学内の人間の目がまとわりつかないところに行けたらな、と思っただけだ。
考えこむあたしに琥珀が助け舟を出すようにして続ける。
「例えば、今これからどこにでも連れてってあげるよって言われたら、どこって言います?」
そう言い換えられた質問に、あたしの頭にパッと一つの光景が広がった。
「うーん。海……とか」
「えっ!う、海?ですか」
「あ、いやその。さすがに今この時期じゃ泳ぎに行くってわけにいかないから、夏に」
あたしの意外すぎる返答に琥珀はやや裏返った声で返した。
今日はたまたま晴れているとはいえ今は真冬のど真ん中の季節で、これからすぐに海になんて向かったとしてもそこには寒々しいほぼ無人の防波堤と砂浜しかないだろう。
「あたしさ、小学校の時とか夏に海に行くのが憧れだったんだ。ずっと海の見えない地域で育ってきたし。親には言うだけ無駄って感じだったから、なんだかんだ毎年諦めてきたって感じで」
「でしたら、近々行ってみてもいいんじゃないでしょうか」
そう琥珀は言ってくれたが、丁重にお断りをすることにした。あたしが軽く手を振って遠慮の意思表示をすると、琥珀はそれ以上突っ込むことはしなかった。
「夏に、行けたらいいですね」
「ああ。行けたらいいな」
二人で。
直接口には出さなかったが、きっと同じタイミングで同じように思ったんじゃないかと感じた。
*****
その日の夜寝る前の時間帯にあたしはスマホを取り出して琥珀に連絡をとった。
家事仕事をしている間も待ち遠しいくらいで、あたしは今日の夕方からまとめた完璧な計画を伝えるべくものすごいスピードで琥珀へのメッセージを打ち込む。
凛「明日、シフト午前中だけでOKになったぞ」
琥珀「そうでしたか。良かったです」
凛「それじゃ、午後から駅前で待ち合わせってことでいいか?」
もともと日払いの単発バイトを予定していたのでこの土日はコンビニのシフトは入れないようにお願いをしていた。
単発の方は急用ができたと連絡したらすぐにキャンセルをすることができたが、そうなると土日が丸々仕事なしになってしまうのでできれば少しでもシフトに入れればと店に交渉をしたのだった。
運良くその日に同じ店で働く女子大生のオネーサンがいたので、平日と土曜のシフトを変わってもらうことで円満にスケジュールを決めることができたのだ。
今日の昼休みの別れ際、あたしが思い切って琥珀に切り出したのは「土日の予定を今日の夜までは埋めないでもらえないか」ということだった。
もっと直接的に誘いたかったが事情なんかがあって時間が必要だったのだ。
事情、というのはバイトシフトの金銭的な面もそうだが、もう一つ妹のことがあった。
やり直し前の一週間では、あの惨劇の現場に妹はいなかった。
ちょうど妹の学校行事の冬季キャンプが開催されていて、あたしがなんとかその費用をひねり出したのでそちらに参加することができたからだ。
それは本当に偶然だったが、そうして現場から妹を遠ざけておくという手段はやり直しループの現在でもそのまま使える。
基本的に自分以外の時の流れはやり直しの前も後も変わらないはずだが、現にこうしてあたしはこの週末に前回はなかった琥珀との外出を予定しているわけだし、妹が突然に予定を変更したがるかもしれない。
考え過ぎかもしれないが、琥珀と出かける前に妹に来週の予定をきちんと確認しておくことは必要に思えた。
その結果、妹は予定通りに月曜日の午前中に出発するキャンプを楽しみにしていることの確認がとれた。
なんとなくではあるが、本来の自分の予定(単発バイト)をずらして妹の行動を制限するかもしれないことを思ってしまい、罪悪感から少し多めにお小遣いをあげたくなった。
妹はあたしからそのお金を受け取り、びっくりしたように満面の笑顔を向けてくれた。
一つだけ気になったことといえば、今日もクソ親父が家に戻ってこなかったということだった。
あまり思い出したくはないがやり直し前のこの日には夜遅くに酔っ払ったクソ親父が戻ってきて、そこでキャンプの用意をする妹にネチネチと嫌味を言っていた。
そのことがほんのちょっと気になっていたあたしは、妹に一緒にキャンプに行く友達で親しい子はいるか?と尋ねた。すごく仲のいい子が一緒に行くから大丈夫だよ、と言うので念のため「もしあたしがいないときにクソ親父が急に帰ってきたら、キャンプ前って言ってその子の家に行ってもいいから」と言って相手の子の連絡先を聞いておいた。
というわけで今日家に戻ってからあたしは色々な可能性を考えていよいよ近づいてくる【運命の日】対策をしておいたのだった。
その上で気持ちをスッキリとさせてあたしは琥珀を堂々と誘うことができたというわけだ。
凛「と、言いつつあんまりどこに行くか考えてないんだけどな」
琥珀「ふふ。凛らしいですね。大丈夫ですよ、私も考えておきます」
凛「助かるよ。できれば、こう、明るくて楽しいところがいいな」
これからのあたしと琥珀の未来が開けたものであると、信じることができるような。
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