運命の日まであと7日【その2】

トワツガイ

第一章 運命の日まであと7日

「…ですか?……さん…」
 ハッと意識を取り戻すとそこには見慣れたレジカウンター内の風景があった。
 最初に目に入った自分の両袖はコンビニのユニフォームの色。
 統一感のないけばけばしい色合いのタバコのパッケージが並んだ販売用ディスプレイ棚や、大型の電子レンジもすっかり見覚えのある配置だ。
 まさか、と思い声のした方向を向くとそこにはキョトンと目を丸くした女子学生の顔があった。
「一条…琥珀?」
「えっ?あ、はい!そうですよ。唐沢凛さん」
 予想に違わぬその返答にあたしは混乱した頭を抱えたが、しかしちょうどそこに耳にタコができるほど繰り返し聴いてきた商品宣伝用のBGMが聞こえてきて、それにより少し落ち着きを取り戻すことができる。
 毎日毎日同じことの繰り返しにうんざりしてきたが、それがこんなふうに自分の助けになるなんて皮肉なものだ。
 あらためて周囲を見回すとそこはいつものバイト先コンビニのレジの中で、歩道に面した大きなガラス窓からは夜になりかけの黄昏時の景色が見える。
 この時間帯の店内は客もまばらで、今もレジ前には琥珀しか並んでいない。
 自分のいるレジカウンターを見下ろすとのど飴の袋とペットボトルの飲料が置かれていて、状況からしてこの2つは琥珀が会計を待って置いたものだろうことがわかる。
 あたしが半ば反射的に使い慣れたバーコードリーダーリーダーで読み取りをすると、レジ画面に数百円の金額が表示された。
「レジ袋はどうしますか?」
「持っているので大丈夫です」
 事務的なあたしの口調に合わせるように、琥珀もお決まりのセリフで返してくれる。
 琥珀が小さなマイバックに商品を入れる少しの間にもう一度レジ画面を見てみると、POS管理の右隅に今日の日付が表示されていることに気づいた。
 それはついさっきまで過ごしていたはずの時間からちょうど一週間前になっていた。
「あ、あの!琥珀。今日って何日?」
「え?今日ですか」
 あたしが焦って思わず目の前の琥珀に尋ねると琥珀は自分のスマホを取り出してその画面を見せてくれた。そこにはレジのPOSシステムと同じ日付が表示されている。
 琥珀はあたしに嘘はつかない。
 だからあたしは理屈はさておき、今ここは一週間前のバイト中になってしまったのだろうということを確信した。
 あたしができるだけ冷静に努めようとしていたところ、それを知ってか知らずか琥珀が続けて話しかけてきた。
「あの、唐沢…さん」
「ん?どうかしたか?」
「今日って、シフトが終わるの遅いでしょうか」
 この会話には薄っすらと記憶がある。
 そう、あたしがかつて一週間前に同じようにバイトをしていたときに交わされたものだ。
 同じことが繰り返されている?
 時間が戻っているのであれば当然といえば当然なのだが、あたしは内心ぞっとしたものを感じた。
 答えを待っている琥珀に対し、あたしの口から自然と出てきたのはやはり一度言ったことがあるものと同じだった。
「今日は早く入ったんであと20分くらいで上がるよ」
 それに対してぱあっと表情を明るくして琥珀は言う。
「じゃあ今日も一緒に帰りませんか?」
 この時期このタイミング、つまりあたしが認知している時間から一週間前の時では、琥珀はあたしにとって「バイト先によく来る少しだけ仲の良い先輩」だったはずだ。
 同じ高校の制服を着ていたから軽く話しかけたのがきっかけで、こんなふうに時間が合えば一緒に短い帰り道を一緒に歩くということも珍しくはなかった。
「いいよ。今日は寒いから、店内で待っててくれるか」
「お気遣い、ありがとうございます」
 先程の無邪気な笑顔はどこへやら、琥珀は落ち着いた受け答えをして店内隅にあるイートインスペースへと移動していった。
 もちろんこの一連のやりとりは全て一度経験をしたそのままのものだ。
 見上げると時計はシフトが終わるまであと十五分となっていて、あたしは琥珀の後ろに並んでいた次のお客さんのレジ打ち作業に戻る。
 あまり考えすぎている時間はない。
 わかってはいるものの結局なんの対策も浮かばないままあたしは琥珀との次の接触をすることになった。
 
*****

「お疲れ様でした。唐沢さん」
 あたしがシフト終了後にスタッフルームで着替えを済ませて店の裏口から出ると、すっかり勝手のわかった琥珀がそこで待ち構えていた。
 あたりはすっかり暗くなっており、降りそうで降らない厚く垂れ込めた雲は冬の寒さや陰鬱さを際立たせているようでもある。
 はあ、と琥珀が自分の指先に息を吹きかけたのに対してあたしは「寒い?」と当たり前のことを聞いた。「そうなんです」と琥珀も当たり前の返事をする。
「今日も塾だったんだろ?あんたもおつかれさん」
「ええ、もうすぐ受験シーズンも始まりますからね。周りのみなさんもピリピリしてきました」
 高3の琥珀は受験直前の追い込みのため進学塾に通っていると前に聞いた。
 少し前まではピアノやバレエなどを習っていたそうだが、受験生になってからは勉学に専念するためにそれら一切を辞めて塾通い一本にしたという。
 どこへ進学を考えているのか、進学後はどういう生活をするつもりなのかといった話題はあたしからは一切したことがない。 なぜかといえば聞いても反応のしようがないからだ。あたしにはあまりに縁がなさすぎる。
「ピアノ、しばらく弾いてないのか?」
「そう……ですね。両親からは弾いてはいけないと言われているわけではないのですが。やはり色々としてもらっている立場では堂々とは弾きづらいです」 
「変なところ気を使うんだな。あんたはもっと甘え上手なのかと思ってたよ」
 からかうようにあたしが笑うと、琥珀は「私はあなたより年上なんですよ」とむくれたように横を向いた。
 そうなんだ。琥珀は一つ年上で、受験生。
 来年はこうして一緒に並んで帰るということはない。きっと。
「じゃあ、唐沢さん。あなたに甘えさせてもらってもいいですか?」
「なんだ?急に」
「私、ピアノが弾きたいんです。後ろめたい気持ちを感じないで思いっきり」
 あたしが少し暗い考えになったところで、急に琥珀は明るく話題を変えた。
 進路を遮るように前に出た琥珀につられて立ち止まり、往来で向かい合う形になる。
「いいんじゃないか。あたしも楽しそうにピアノを弾くあんたを見るのは、」
そこで少し言い淀んだ。どうしてそこで一瞬言葉にするのをためらってしまうんだ。
「好きだよ」
 あたしの言葉に何も答えず、琥珀は再び自分の指先を口元にあてて息を吹き込んだ。指先の隙間から色の付いた吐息が宙に舞って消えていく。
「明日の放課後、音楽室に来てください」
「明日か。明日は久しぶりにバイトが全部休みの日なんだけどな」
「もしかして予定、ありましたか?」
 強気に誘うつもりなのかと思いきや、あたしの反応一つでしおれるような弱さを見せる。
 前から思っていたがもし意図的にこの態度をやっているのだとしたら琥珀の手練手管は相当なものだ。
 あたしはその手管に引きずられないようにと一息ついて強気に笑顔を作る。
「予定か。あるよ」
 琥珀が顔を上げるのを待って顔を寄せた。
「たった今できたからな」
 あたしがそう言うと、琥珀は不安そうな表情からぱっと頬を赤らめた。立ち止まっていた一歩を踏み出しなおすと琥珀も並んで進み出す。
「でも本当にあたしがギャラリーでいいのか?全然ピアノの良し悪しなんてわからないし、聴いたってろくな感想も言えないぞ」
「それでいいんです。私はあなたのそういうところが、」
 そこで琥珀は言葉を止める。まるでさっきのあたしの真似をしてからかっているかのように。
「好き、なんですから」
 短い大通りまでの帰り道。
 これまでは何か特に意味のある会話をしてきたわけではない帰り道。
 だけども今、二人でする意味深な会話を楽しんでいる。
「明日ピアノ室に行くかわりと言うわけじゃないが、一つお願いをしてもいいか?」
「お願いですか?あなたがなんて珍しいですね。ええ、もちろんいいですよ」
 もうすぐ帰り道が終わる。二人が別々の道を辿らなければならない場所まであとわずかという地点。
「あたしのこと、『唐沢さん』じゃなくて『凛』て呼んでくれないか」
「えっ、いいんですか?」
「何か都合が悪いのか?一条センパイ」
 琥珀は数歩前に出て振り返った。そして振り返って今日一番の笑顔を見せる。
「悪くないですよ。凛」
 そんなふうにしてあたしたちは運命の日まであと7日のうちの1日を終えた。

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